TENRYU-KU OKURYOKE OSAWA: BESSHO TEA FACTORY
Japão | 2014 | cor | 64´
Realização: Hori Teiichi

Sinopse:
A aldeia de Osawa encontra-se a uma altitude de 740 metros, na encosta de uma montanha escarpada no extremo norte da cidade de Hamamatsu, na prefeitura de Shizuoka. A aldeia oferece belas paisagens sobre o monte Azabu e o rio Shirokura que corre em baixo numa ravina profunda. Este filme revela um olhar sereno sobre o processo de produção de chá que ocorre no final do luxuriante mês de Maio – desde a colheita na íngreme encosta de Osawa até ao seu tratamento na fábrica local. A série Tenryu-ku marca a incursão de Hori Teiichi no documentário. O seu trabalho mais recente, Natsu no Musumetachi: Himegoto, foi aclamado por todo o país, após estrear na sala de cinema Pole Pole Higashi Nakano. O realizador faleceu a 18 de Julho de 2017, enquanto decorria uma retrospectiva da sua obra nessa mesma sala.

 

堀禎一の『天竜区奥領家大沢別所製茶工場』について

堀禎一の『天竜区奥領家大沢別所製茶工場』は、堀が2014年から彼が死去した2017年にかけて、静岡県浜松市の標高740メートルの山斜面の大沢集落の
自然とそこに住む人々を撮った『天竜区』シリーズの最初の作品である。この映画ではその歳の5月に行われた茶摘み作業と工場での製茶までの工程にフォーカスが当てられている。堀自身が語ってくれた言葉によると、最初はただその土地に通って人々を知って話を聞くという時間をかけ、そのために一年を費やしたという。おそらくそこには語ってくれた言葉以上に膨大な作業がなされていたのではないかと推察できる。なぜなら茶摘みから製茶までの一部始終のプロセスがどのようにとらえられればよいのかについて、考え抜かれたとしか思えない的確な距離と、山々から工場までの空間とそこで作業をする人々への敬意が、映像と音から伝えられてくるからだ。
まず山々が手前から奥へと配置されてとらえられ、道に別所製茶工場と記された看板が置かれているショットが挿入されても、その場所や人々はすぐに示されることはない。堀はまず光や煙や雨の中で、この村、空間、段々畑、そして茶の葉までが、どのように見えるのかをとらえてゆく。それは視覚的だけではなく聴覚的にも、風や雨の音、水の流れる音、鶯の泣き声によって、驚くほど変化がみられるものだ。そしてこの変化を見る者に伝えて感じさせる、編集の悠々としたリズム。言葉による説明などなくとも、この映画に魅了される理由の一つに、この的確な距離とリズムの編集の完璧なまでの融合がある。山をとらえた画面に煙がゆっくりと広がってゆく運動につれて、次第にショットが変わって近づいてゆく時のリズムの音楽性を見れば、堀禎一が撮影所時代の日本の劇映画の風景画面が挿入され積み重ねられてゆく時のリズムをどれほど愛していたのかを、観客は感じ取ることができるだろう。そう、ドキュメンタリーに分類されてはいるが、堀禎一の『天竜区』シリーズは、彼の撮った劇映画のように、画面の積み重ねの運動によって、何かを「語っている」のである。
重要な役割を「演じる」農業用モノレールと雨に濡れた茶の葉に続いて段々畑が再び映し出され、遠くから作業をする人々の声が聞こえてくる。世間話以上の何かではないが、耳に心地よい彼らの声とともに画面が遠景から中景、近景へと近づくと、人々が茶の葉を摘み取る手の動きと音が別のリズムを刻んでゆく。猿に出くわした話や80歳を超える年齢の話など談笑しながらも一定のリズムで手を動かし、茶の葉を袋に詰めてゆく女性たちの光景を、唯一の動きでダイナミックに横切るのが農業用モノレールである。ゆっくりとした動きではあるが、大きな音で力強く画面奥から手前に進んで行くモノレールは、急な斜面を楽々と上って行く。そしてこのモノレールは、画面から次の画面への運動を招き寄せる。この「続いて行く」感覚は、それまでの近づいたり遠ざかったりする画面の編集で実現される運動に慣れた観客に、新鮮な驚きをもたらす。モノレールがやってきて止まり、女性たちが茶の葉の詰まった袋を下ろして、製茶の機械が待っている建物へと運んで行く。一匹の、皆からジョンと呼ばれているという犬もやってきて、モノレールの影に寝そべるが、彼もまた働く人々とは全く違ったリズムを生きていて、皆が淡々と茶袋を運び込んで行く一方で、突然カメラに向かって吠えたりする予想しない動きで空間を活気づけるのである。
堀禎一は、彼の愛した小津安二郎の映画のように、この空間を構成するあらゆるものの動きのハーモニーを見出すために、映画を使う。豊かな自然と働く人の一定のリズムに、モノレールの動きが導入となって、機械のリズムが映画に加わる。そしてカメラもまた、固定画面と編集によって自らのリズムを刻んで加わる。それは暗い工場の室内からいきなり開かれた遠景へ、そして光の変化の運動を記録した後で、鳥たちの声が表現する広さから茶の葉の接写の静けさを見出すのである。この素晴しいモンタージュは、戸外から再び工場の機械の動きと音が充満する室内へと移動するパートへの前触れとなっている。そこでは袋から出された茶葉が製茶機械に投入され、高齢の人々が慣れた手つきで、時には無言のサインに答えてその機械を調整するプロセスが捉えられる。堀のカメラは異なった機械が茶葉を加工してゆく別の運動が現われる度に、それを捉える喜びに満ちている。直線状に、また葉を宙に舞わせ、そして円状にすりつぶし、とさまざまに一定のリズムを奏でる、それらはまるで楽器のようだ。人々はそのさまざまに運動する機械と外から刺してくる光を行ったり来たりしながら別の動きを奏でる。そして作業が終わったあとの動きの消えた空間と精製された葉の濃い緑色から外へ出たカメラは、続いている音に気づいたように、再び工場の中へと戻っていく。
茶摘みから製茶へ、そして作業が終わった後で出稼ぎの人々が車で帰って行くのを見送る老夫婦が片付けている光景を、堀のカメラが逆光の白い光の中で捉える時、その光こそがピンク映画からアイドル映画までの堀禎一作品の最も美しい瞬間を彩ってきたことを忘れるものはいないだろう。『東京のバスガール』(2008)の最後でカップルを包み、『妄想少女オタク系』(2007)の最後でもプールで遊ぶ若者たちを包んでいた光である。堀はその光に包まれた老夫婦と、後継者もなくいずれは最後の時を迎えようとしている製茶工場の現在の時を、その時間を生きるあらゆる要素を記録した固定画面とモンタージュによって「語らせる」。思えば堀の最も美しい劇映画でありSF青春映画である『Ren 』(2008)は、未来からやって来て時の囚人となった女の子を描いていた。そしてこの天竜区シリーズの、とりわけ『天竜区奥領家大沢 冬』(2015)において、堀禎一は時の止まったような山の空間で、画面と編集の自立した運動によって語る日本映画の伝統をドキュメンタリーに用いることで最も美しい瞬間を実現している。それを見る時、おそらく観客は、撮影所での映画制作の時代が終わった今、堀禎一が日本映画の伝統を体現し、未来に生かそうとした、稀有の、また最後の映画作家だと理解できるだろう。

Daisuke Akasaka (film critic)
(texto traduzido por Marta Morais no Jornal dos «Encontros Cinematográficos»)