TERRA
Portugal |  2018 | Cor | 60′
Realização: Hiroatsu Suzuki e Rossana Torres

Algures no Alentejo, estão dois grandes fornos cobertos de terra onde um homem  faz carvão.
Elementos essenciais como o fogo, a água, o ar, a terra e o espaço reflectem, respiram e celebram o ritmo da Terra.

 

鈴木仁篤=ロサーナ・トレスの『TERRA』の遠ざかることと待機の時間について

赤茶色の土を大きく盛って作った炭焼き窯の開いたままの扉から、白い煙が濛々と立ち上っていく様子を、長靴を履いてグレーの長いシャツの袖を少しまくり手に長い棒を持った若い男が見つめている。観客には見えない扉の中をしばらくうかがった後で、納得したのだろうか、男は扉を閉めようとして、ひっかかっていたらしい木を外に放り投げ、力を入れて扉を閉じ、開かないように棒をあてがうと、煙の中にその姿が一瞬見えなくなりそうになる。男は画面の外へ出て、再び去っていく姿が見える間、煙はまるで生きもののように扉の前をさまよって戻ろうとする魂のように見える。すると画面の外からは決して画面に現われない羊の鳴き声と 羊飼いが持っているらしきベルの音が聞こえてくる。鈴木仁篤=ロサーナ・トレスの三作目、『TERRA』のタイトル前のワンショットは、この映画のテーマをシンプルに描き出している。それは炭焼き窯の中の見えない扉の向こう側で起こっているプロセスを準備する人々の労働と、その結果をじっと待ち受けること、それに伴う空間と時間をどのように見せるのか、ということである。

窯の周囲に切られた木を大量にトラクターで運び込み、窯の中に運んで詰め込み、空気の口を作って火を焚き、扉の回りを土でふさぎ・・・といった作業のあいだ、鈴木=トレスのカメラは近づくことなく、逆に遠ざかる。彼らは扉の側の誰もいない台車のカットのように稀に物の画面で近づく以外は、煙を立てる窯を包む空間を構成する周囲の森、湖、平野そして空を忘れないように思い切り遠くから撮影する。遠ざかることで、観客に、思いがけなくもたらされる静寂と広がりの感覚がある。さらに一人の男が天井を塗り、踏み固め、さらに静寂と煙の時間が過ぎ、煙の出口に近づいた画面となるが、男が焼き具合を確かめに来る画面でカメラは再び遠ざかった位置からその動作を見守るのである。そして驚くことに、さらに遠くの高い場所から、カメラは銃を持った男を捉える。遥か下に何かが見え隠れする、羊と羊飼いだろうか、ベルの音が聞こえてくる。そしてまた狩人らしい人たちが座っている。彼らも何かを待っている!風の音を聞きながら、鳥の泣き声をまねる二人を捉えたユーモラスな画面、そして村人らしき人々の夜景の後で、観客は窯の扉が開かれ、袋に詰められた炭を運んでいる光景を目にする。観客は窯の中を初めて目にする時、その思いがけない白さに驚く。そして曇天に湖を大きく捉えた画面から全て運び出した窯の中の黒さへ、そして今度は晴天に真っ青な水の色と輝く土の色へと移行するモンタージュが素晴しい。陽光に輝く窯の土の色から夕刻の水辺の深い青へ、今までずっと見つめてきた同じ場所なのに、なおも新しい色彩を発見できることの美しさと不思議さ。鈴木=トレスは、それが映画なのだと述べているように思える。そしてその後初めて煙の口を捉えたクローズアップが現れる。そこにはまるでクローズアップという技法を初めて目にしたような驚きがある。

テレビの映像と音が文字情報に人の目と耳を従わせて操っているために、そして受像機器がテレビからスマートフォンへと次第に小さくなるにつれ、人々は遠景や遠ざかるモンタージュを忘れてしまい、ナレーションの言葉を信じ込むだけになってしまった。鈴木=トレスの『TERRA』はそうした世界の動きに抵抗し、遠くから見ることと、じっと待ち受ける人々の時間の美しさを再発見する。ロバート・フラハティの『極北のナヌーク』(1922)の猟師が獲物に向かって銛を構えて姿勢をとるときの「待機の時間」について批評家のアンドレ・バザンが述べた時、あるいはロベルト・ロッセリーニが自らの映画について「待機の時間を経て、いきなり結論に至ってしまう」と語った時、彼らは、メディアが捉え損なうが映画だけが描くことができる、何かを生み出すために最も大事な時間があると知っていた。鈴木=トレスはその時間を再発見しようとする。そして黒い窯の中から開いた扉の外を撮った画面を見る時、ふと人はロングショットの巨匠、ジョン・フォードの名作『捜索者』(1956)を思い出す。鈴木=トレスが意図したかどうかは不明でも、その後の手前に水辺の二人の人物を配し光景に山が広がるロングショットが、どこかに通じるものがあることを感じさせる。そしてもちろん『TERRA』は鈴木=トレスの過去の作品とも結びついている。これは作業の映画という点では『丘陵地帯』Cordão Verde (2009)、ある一つの場所という点では『レイテ・クレームの味』O Sabor do Leite Crème (2012)の延長線上にあり、しかもより冒険的な映画と言えるだろう。なぜなら、ストローブ=ユイレが『アンティゴネー』(1991~1992)で行ったことで、鈴木=トレスが受け継いだことがあるとするなら、観客に一つの場所をさまざまな距離と時刻から見つめて、可能な限りの美しさを見出させることを期待しているからだ。そのことは21世紀の今も尽きない映画の可能性を考えさせるのに充分なのである。

Daisuke Akasaka (film critic)
(texto traduzido por Marta Morais no Jornal dos «Encontros Cinematográficos»)